- エリア 別府市
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ジャンル
- 歴史・神社・仏閣
施設名 吉弘神社(よしひろじんじゃ)
慶長5年(1600)9月、豊後の関ヶ原ともいわれる石垣原合戦において、西軍石田三成に味方して挙兵した大友義統の家臣・吉弘統幸を祀る神社です。統幸は東軍・徳川家康方につくべきだと主君を再三諌めましたが聞き入れられず、黒田如水の東軍とやむなく戦い、「明日は誰が 草の屍や照らすらん 石垣原の今日の月影」と辞世の歌を残して戦場の露と消えました。その統幸を近くの臨済宗・太平山宝泉寺の住職が村人と相談したうえで、石碑をたてて手厚く葬り、その印に一株の松を墓の側に植え、位牌を寺に安置して、その菩提を弔っていました。大正11年(1922)、地域の人々の手により、墓所の前に一間社流造の本殿と入母屋造裳階付の拝殿が建立され、吉弘神社と名付けられました。